Con furoce
人から視線を浴びるのは慣れている。 好意、嫉妬、羨望・・・・良い感情だろうと、悪いそれもだろうと、さして気にしたことはなかった。 注目を浴びるというのはすなわちそういう事なのだから。 どんな視線であろうとも、それはすべて自分への注目の現れで、その一つ一つの意味など問題じゃなかった。 そう ―― 夏の日差しの下で、あの瞳に出会うまでは。 サイレントヴァイオリンの音はアンプを通すので、クラシックヴァイオリンのそれより硬質に響く。 好き嫌いはあるだろうが、東金千秋はこのシャープさが気に入っていた。 弓を滑らせて、指を踊らせるたびに切り裂くような音が真夏の空気をふるわせる。 8月の午後というもっとも暑い時間だというのに、山下公園の聴衆は飲まれたように東金達の奏でる音に聴き入っていた。 音楽好きらしいこの街の住人達は早くも全国大会のセミファイナルに出場予定の神南の演奏に魅了されたらしく、すでに公園でライブをやればちらほら同じ顔も見かけるようになった。 もちろん、その一部はずば抜けた美形である東金や土岐に目をつけた女子であることも自覚してはいる。 が、そんなものは東金にとっては問題ではなかった。 容姿だろうがなんだろうが、それも含めてすべて自分の表現だ。 実際、演奏が始まれば黄色い声援などはぴたりと収まる。 あとは東金達の音に酔いしれる空間が生まれるだけだ。 それは東金にとってはとても慣れた空間で、演奏が始まれば自分もまたヴァイオリンに没頭していく。 東金の音が舞い、土岐の音がそれを広げる。 そうなれば観客など気にもとまらなくなる・・・・のだが。 「・・・・」 ふっと。 視線を感じて、東金は観客の方へ目を向けた。 前列の方の女子が向ける浮ついた視線ではない。 その外側にいる音楽好きの観客が見せる好奇の視線でもない。 幾多の視線を気にもとめない東金が唯一、感じるそれは・・・・。 (・・・・やっぱりあいつか。) 観客の一番後ろ、むしろ観客というのか怪しいような場所に立っている金茶の丸い頭を見付けた。 次のステージで勝負をする事になる星奏学院の選抜メンバーの一人、小日向かなで。 星奏学院の制服を着た一際背が小さい少女は、ステージの上から見なければ人に埋まってしまいそうだ。 地味子、と東金がからかっている呼称の通り、端から見たらこれと言った特徴もない少女。 しかし。 (また泣いてるんやな。) 遠目で見ても明らかにわかるほど、かなでは涙をこぼしていた。 悲しくて泣いているというのとは違う。 どちらかというと本人は涙が出ていることすら気がついていないように、まっすぐに東金を見つめている。 今まで自分の演奏で感動して泣いた観客もいなかったわけじゃない。 けれど、そういう観客とかなではどこか一線を画していた。 だから、なのだろう ―― 数多の視線になれたはずの自分が、かなでの視線だけに気がつくのは。 涙という透明な幕の向こうから見てくるその若草色の瞳は、普段の彼女を知っている人間なら驚きそうなほど強い。 いつもはどこかおっとりとした笑みを浮かべているそれとはまるで別物のように。 愛器につけた名の通り、毒のように己の紡ぎ出す音が観客を酔わせていく中でかなでの視線だけが不思議と異質だった。 ただ単に自分より巧い者へ向ける憧憬の視線とも違う。 まるで、自分が失ってしまったものを持っている人間を見付けたかのような。 あるいは、東金の中にある何かを奪い取ろうとするような、そんな貪欲さすら感じる視線。 (・・・・地味子、か。) 初めてかなでの音を聞いた時、つまらない演奏だと思った。 技術は確かに並以上ではあったが、品行方正に弾いているだけでおもしろみがないと。 色で言うならば無色透明。 技術的にいくら優れてようが、そんなものは面白くもなんともない。 そう思ったから東金はかなでに言ったのだ。 『おまえには華がない』と。 正直、そう言った時は自分の相手にはならないと思っていた。 おっとりした風に見えたかなでは、東金にそんな風に挑発されてもとても乗ってくるようには見えなかったから。 けれど ―― 予想に反してかなでは乗ってきた。 東金の演奏を見つめる視線は、まさにそれを物語っている。 憧憬、嫉妬、渇望、そのすべてをないまぜにしたような視線は東金の一挙手一投足も見逃すまいというように、今も浴びせられていて。 (ふん、面白いじゃないか。) ほんの少し口角を上げて、東金は楽曲のクライマックスに向けて運指を早めた。 いつもより早いプレストのテンポ取りに、ちらっと土岐と芹沢が自分を見たのはわかったが、このぐらいでついてこれなくなるような二人ではないことはわかっている。 幾重にも音で複雑な模様を織るように、カンタレラが歌う。 はっと、かなでが息を飲んだのが視線でわかって、ますます東金は愉快な気分になった。 (そうだ。目をそらすなよ。) 一瞬たりともその視線をそらさずに、見つめていればいい。 そうして、その視線が垣間見せる、単純に見えるかなでの奥にある酷く熱いその情熱を発露させて見せろ。 「―― 楽しそうやね、千秋。」 何か含みのある口調で土岐が呟いたのが耳に入ったが、口角をあげるだけで答えた。 楽しそう? 楽しいに決まっている。 (あんな面白い女に会えたしな。) 心の中で揶揄してちらっと、かなでに視線を走らせれば相変わらずぼろぼろと涙をこぼしながらも、片時も離されない視線とぶつかる。 その焼け付くような視線は、セミファイナルの舞台でどう華開いてみせるだろうか。 つまらない、と思っていたはずの次の勝負が如月律との勝負以上に楽しみになっている自分にかすかに笑いながら。 ―― 直向きに自分だけを見つめる好敵手に向かって、東金は最後の音を投げたのだった。 〜 Fin 〜 |